ドヤ顔と呪術廻戦 1/2
どや‐がお〔‐がほ〕【どや顔*】
《「どや」は「どうだ」の意の関西方言》得意顔のこと。 自らの功を誇り「どうだ」と自慢している顔。
人には何かを「誇りたくなる」瞬間がある。承認欲求が目に見えるかたちで渦巻くSNS全盛期のこの社会において、コロナ禍の塞ぎ込みがちなこのご時世ならなおのこと、数少ない自慢のタネを萌芽させて誰かの眼前で花開かせたいと思うのは至極人間的であると思う。この憂世において、誉められる、賞賛させるという経験はやっぱり追い求めてしまう。時には自分が自慢をし、時には誰かの自慢を賞賛し。もちつもたれつ。誇りつつ誇られつつ。
「誇り方」もさまざまではある。現代的なもので言えばインスタとかで多方面に投げかけることもある。もちろん、対面で、きいてよぉ↑↑的なノリで誇ることも、廃れることない古来からの伝統的誇り方である。その際はSNSに比べより間近に、ホコラーの方の熱量をホコラレー側は受けることになる。言葉然り、声色然り、温度感然り、そしてそう、「顔」。
ホコラー側からすれば、自慢をふりまいたところでもう満足は満足であるし、誇りつつ誇られつつのこの世界、大概の良識ある人はホコラーが誇っているところを邪魔したりしないし(大概の良識ある人は。)、ホコラレー側がマイナスの感情となることは、対人関係の受け身の取り方を自然と習得していればまぁないとすれば、全体総量で幸せはプラスである、はず、なのだが……
今回は、ドヤ顔によって壊されるもの植え付けられてしまうものがあるのだ、という話。
記録1 お財布
話は大学時代にまで遡る。
東京で大学生していた私だが、地方出身であり高校の同窓生は全国に散っている。特に地方公立進学校あるあるの、妙な国立公立信仰ということも相まって(いまだに謎なんだけどこの信仰は一体何から来ているの?公立出身はずっと公立で生きていけ!そして俺の継ぐ子となれ!みたいなのがあるの?)、進学先は全国に及ぶ。
そんなわけで全国に遊びにいくツテができるのは面白いところではあるのだが、例にも漏れず私も長期休暇を利用して、同窓生に会いに福岡に飛んだ。
旧友A、Bとの久しぶりの再会に喜びもひとしお、喜びを分かち合った後で早速居酒屋になだれ込む。地のものが食べられる、しかもハタチ越えてまもないタイミングだったのでおぼえたてのお酒も楽しめる、そしてそんな酒の席を、酒なんてものが存在しなかった高校時代を共にした旧友と囲むことができるというわけでワックワク。
近況報告、たわいもないキャンパスライフのあれこれ、永遠に肴にできる思い出話。何を話したかなんて今となっては中身を憶えてはいないけれど、お酒も手伝ってとても充実した時間を過ごすことができた。さぁ2軒目いこう!
と、お会計になった時である。Aがニヤニヤしている。
A「きいてよぉ」
私「どしたん?」
A「この財布!」
私「財布?」
A「買っちゃったんだよねぇ〜、
ポオォルスミスゥ
ドヤァアアアアアアアアアアアアアア
……確かに公立大学生にとっては、ポールスミスはちょっと憧れのブランドだったりする。ウサギとかシマウマとかいろんな動物のロゴは全部おしゃれ可愛いし、ポップな色使いもおしゃれだし、何ならもうPaul Smithってあの書体もおしゃれ。あの書体ならSuihankiでも多分おしゃれ。誰もがあの書体で進研模試解こうとしたことあるはず。私はない。
バイトで貯めたお金でついに買ったという涙ぐましいエピソードと共に披露されたPaul Smithの財布は確かにお洒落であった。他のブランドでは中々ないんだろうな〜という配色。そしてなんか動物あしらわれていた。何かは忘れた。しかし。しかし。。。
ドヤ顔が。すごかったの。なんか。うん。すごかったの。本人はそんなつもりなかったかと思うんだけど、すごいかったの。すごいかったって何だよ。すごかったの。ドヤァアアアが。もはやAがAではなくなっていたレベル。何かに取り憑かれるんじゃないかレベル。これ呪い?呪術廻戦?
面白いもので、横で聞いていたB的には何も思わなかったようで、この呪霊はドヤ顔を真正面で受け止めた私にのみ襲いかかってきたようだ。
ものすごい速度で酔いが覚めてしまったけど、「い、いいじゃんめっちゃお洒落!!!」とホコラレーの鏡的なリアクションをし、2軒目に雪崩れ込んでその後は何ごともなかったように楽しく飲んで飲み過ぎてもつ鍋をもつ鍋して翌日帰京した。
しかし、この深すぎる呪いは今でも私に取り憑いている。
今でも百貨店とかでPaul Smithの売り場が目に入るたび、
ポオォルスミスゥ
誰かがPaul Smithの小物とか使っているのに気づくたび
ポオォルスミスゥ
後輩「彼女へのプレゼント悩んでるんですけど、例えばPau」
ポオォルスミスゥ
と、あの声とあのドヤ顔が浮かぶ仕様になってしまった。
数年前、上野でPaul Smith展をやってた時とかもう百鬼夜行でした。我ながら、とんでもないものを抱えてしまった……。
Paul Smithがとても素敵なブランドというのは間違いないのだが、私の中で何かが壊れた、とでもいえばよいのだろうか。
つづく