エモに関する反省
エモいとは何か、について正しく辞書的な説明をする力量はないのですが、
要は卒業式とか、桜とか、旧友との再会とか、懐かしの景色とか、そういう時の感情のことです。
なんていうか、人生においてまぁ、なくても、最悪、さいっあく、生きてはいけるものの
エモのいない世界など夏休みのない8月のぉよぉになってしまう、そんなものです。
なんでもないや。
そして私はしばしばこのエモモードになりますし、エモに浸るのが好きだったりします。
旧友との旅行、昔行っていたお店への再訪、あの頃聴いていたあの曲、昔の写真たち、
こんな感じのものでエモは膨らみます。
そしてエモい感情が膨らみに膨らんでしまいLサイズになった状態をエルモと銘打ったのが前回の記事です。
エモの化身エルモの愉快な生態
エルモはくさいです。
くさいことめっちゃ言いますしめっちゃ書くようになります。
高校の頃の学校祭の後に感極まって送ったメールには「くさーーーーい」とド直球に返された実績があります。「くさいこと言ってないで打ち上げやろうぜ」と言われエルモはロケットに縛り付けられ大気圏で焼け落ちました。
エルモは長いです。
たかぶった感情が赴くままに出力されるようになります。オチもないのにダラダラとぶちまけ続けるようになります。
話の構成を考え言葉を取捨選択する、自身が割と大事にしている脳の機能がこの時ばかりは2になります。
私の人生における最大級エルモ「卒業式の答辞」は、エモにエモが重なりもはや短編小説かぐらいの長さになり(答辞というのは読み上げる書を筆で書いて、最後校長せんせに納める必要があるものなのですが、それを書き終えた時はなんと朝で、そのままいざ卒業式、という人生初の徹夜をやってのけた)、
親から友達からいろんな人に「長すぎて感動が消えた」という本末転倒な感想を得るに至りました。
私の答辞にじっと向き合う立ち位置の校長せんせは後半クッキーモンスターみたいな目になってました。
ですから前回の記事、
パンケーキを食べに大学の頃の街を訪れたというたったこれだけでエルモが召喚されたものですが、
これまた大層くさくて長い、ニラのような記事になってしまったのですが、すみません。
自己満足してるんだろうなと笑ってやってください。書いている時はエルモなので感極まっているわけです。
???
ちなみに、エルモ状態で最寄駅に帰ってきたらなぜか改札前でカップルが壮絶な喧嘩してて彼女さんが絵に描いたような平手打ちを往復でばしばしキメていて
エモは即ビッグバードとなり夜空に飛んで行きました。
あ、更にちなみにその最寄駅で、
まさかの大学時代の後輩とばったり会いました。
はいエルモ〜。